藤田慶和選手はラグビー選手として、中学・高校時代に全国大会で優勝。
2021年には東京オリンピックへ出場するなど、ラグビー選手として圧倒的な結果を残しています。
前回の対談では「藤田慶和にとってのライバルは?」というテーマでお話を聞いてきました。
【前回の記事を見る:藤田慶和にとってのライバルは?】
今回はそんな藤田慶和選手に「藤田慶和にとって人生最大の失敗とは?」というテーマで、uFit代表である林ケイスケがインタビュー形式で深掘りしていきます。
他メディアでは決して話さない、藤田慶和選手の意外なエピソードを盛りだくさんでお届けします!
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お話しをしてくれる人
藤田慶和選手
ラグビー選手
京都府出身。1993年9月8日生まれ28歳。JAPAN RUGBY LEAGUE ONE埼玉パナソニックワイルドナイツ所属。2021年に東京オリンピックに日本代表として出場。 ポジションはウィング(WTB)、フルバック(FB)。Youtubeチャンネルの運営もしている。
インタビュアー
林ケイスケ
uFit代表トレーナー
Youtubeチャンネル登録22万越え。自重トレーニングのメニューをはじめ、筋トレやダイエットの知識について執筆。フィットネスを通じて健康に目を向けてもらえるようトレーニング動画や記事を発信しています。
藤田選手にとって人生で最大の挫折とは?
林:藤田選手の「こんな失敗をしてしまった」というエピソードがあれば伺えればと思います。
藤田:僕の中で人生で最大の挫折は「リオオリンピック」の時ですね。初めてラグビーが正式種目に認定されました。
僕はずっと日本代表に選んで頂けていたので、リオオリンピックは必ずいけると自分の中では思いながら活動していたんです。
でも、直前にメンバーから落とされて、リオオリンピックで戦えなかったことが僕のしくじりというか、人生で一番悔しかったことかなと思います。
林:日本代表から落選するという発表を受けた時の心境はいかがでしたか?
藤田:実はリオオリンピックの一ヶ月くらい前にメンバー発表の記者会見をしてるんですよ。記者会見のときは選ばれていたのに、一週間前に急に代表から落とすと言われました。
「えっどういうこと?」みたいな感じだったんです。
普通に「落選ですよ」って言われていたならまだ納得できたんですけど、そういう落とされ方だったのでスッキリしなかったですし、悔しさの残る大会になったなと思います。
挫折を経験したことによる変化とは
林:挫折からどのように立ち直れたのですか?
藤田:いやもう……リオオリンピックが終わるまでは吹っ切れなかったですね。
だから、これこそしくじりなんですけど、落選していてもチームをもっとサポートしておけば良かったなと思います。
その当時は若かったので、自分の想いだけでチームに良くない態度を取ってしまって。一応バックアップとして準備はしていたんですけど、チームに良い影響を与えられなかったなというのはありますね。
林:直前で急に落選することもあるんですね……
藤田:僕もそういうのはないと思ってたので、すごく悔しかったですし、その後の発表もSNSだけみたいな感じだったので納得はいかなかったんです。
結局それを生み出したのは自分の実力であったりとかそれまでの練習の取り組みに対してのことだと思うので、こういうところを反省しなきゃいけないんだなっていう風に学びも大きかったかなと思います。
林:それはかなり悔しいですよね。
藤田:そうですね。悔しいですが、それまでオリンピックで活躍できればいいというメンタルでやっていました。練習試合の調子が悪くても「別にここで悪くてもオリンピックに標準合わせればいいや」というメンタルでいたので、結局日々を積み重ねられていなかったというところが大きく影響したのかなと思っています。
そこから日々を大切にしようというメンタリティーになれたので、ラグビー人生の中で大きなしくじりと大きな学びがあったところだと思います。
東京オリンピックへ出場できたきっかけとは?
林:その学びがあったおかげで次の大会に繋がったっていうことですか?
藤田:リオを去る時に東京も諦めようかなと思ったんですよ、悔しすぎて。
でも、この悔しさっていうのはオリンピックでしか返せないのかなと思ったので、4年後絶対メンバーに選ばれてメダルを取りたいなと思って始まった東京オリンピックへのチャレンジでした。
リオのことがあったから、東京でオリンピックに出れたっていうのはあるかもしれないですね。
林:代表から外れた時のファンの方からどういった反応がありましたか?
藤田:「なぜ藤田選手が落選?」という記事がたくさん出ていて、ファンの方々も少し驚きはあったのかなっていう感じでした。
「東京オリンピックまで、メンバーは交代しますか?」と監督に聞いたとき、「交代する可能性はある」と言ってくれたので、そこに集中していてなかなかファンの方々のお声っていうのは届かなかったんです。
リオが終わって、15人制に戻ったりもう一回7人制をしたりする中で、ファンの方が「絶対東京行ってよ」って言ってくれたりとか、「リオは悔しかったけど東京で活躍すれば大丈夫」という声をたくさん頂いたので、そういう声に救われてやってこれたかなっていう感覚はありますね。
名将エディ・ジョーンズ監督に学んだこととは?
林:大学生の時に大怪我をしてしまった前後で心境が変化した部分はありますか?
藤田:最年少で日本代表に入れて、そのシリーズが終わった直後の怪我だったのですごく悔しかったです。
治らないケガではなかったので、しっかりとリハビリをしてもう一回代表や大学で活躍したいという思いがすごく強かったです。
ちょうど10ヶ月くらいリハビリをしてから、復帰したときに当時日本代表のエディ・ジョーンズ監督にパフォーマンスを見てもらった時に呼び出されて「10ヶ月間なにをしてたの?」とめちゃくちゃ怒られたんですよ。「パフォーマンスが全然なってない」みたいな。
僕の中では「10ヶ月休んでたのに、10ヶ月後のすぐの試合で慣れてもないのに」と思ってたんですが、プロの世界ってそうじゃないってことを大学二年生くらいの時に初めてエディ・ジョーンズ監督から教えてもらいました。プロや代表の厳しさを教えてもらったのは覚えています。
林:目の前の試合でちゃんと結果を出せるか、ベストを尽くせるかみたいなとこが大切ってことですよね。
藤田:結局10ヶ月休んでる選手もずーっと活躍してる選手もグラウンドに立ったら一緒だよってことを教えてもらいました。膝の怪我をしたときは悔しかったですけど、その先にもっと大きな学びがあったなという感じはしますね。
挫折をしてしまった人へ藤田選手が伝えたいメッセージ
林:今、挫折してしまった方に藤田選手からメッセージを頂きたいです。
藤田:僕自身リオオリンピックで挫折をしたりとか、良いことも嫌なことも経験してきた中で、諦めなかったら最終的には自分の思うようなところに立てるんだなっていう経験があるので、今苦しい方々にはそこで諦めて欲しくないなと思います。
逆にどんどん挑戦をして、前に進んで欲しいなと思っています。たとえ小さいことで失敗をしたとしても、長い目で見るとその失敗って失敗じゃないんですよ。ゴールに行くための課程で学ぶことです。苦しいけど、這い上がってポジティブにやって欲しいなと思います。
まとめ
今回は藤田選手に「藤田慶和にとって人生最大の失敗とは?」というテーマでお話を聞いてきました。
大きな挫折を経て世界の舞台で活躍されているトップアスリートの言葉には重みがありますね。
次回の対談では「藤田慶和選手のお金の話」というテーマでお話を聞いていきます。
◆ラグビー日本代表!藤田慶和と対談!