【特別対談企画⑵】日本卓球界の至宝!水谷隼は人生最大の挫折をどう乗り越えたのか!?

【特別対談企画⑵】日本卓球界の至宝!水谷隼は人生最大の挫折をどう乗り越えたのか!?

水谷隼選手はこれまでプロ卓球選手として数々の功績を残し、日本の卓球界をけん引してきたレジェンド。

メディアや卓球界では「日本の至宝」と称され、天性の柔らかいボールタッチと高い予測能力で世界のトップ選手と渡り合ってきました。

2021年の東京五輪では混合ダブルスで伊藤美誠選手と組んで金メダルを獲得し、五輪卓球史上初の3種目でのトリプルメダリストととなりました。

今回は水谷選手に「水谷選手は人生最大の挫折をどう乗り越えたのか!?」というテーマで、ロンドン五輪での挫折や、挫折を通しての気持ちの変化について、uFit代表の林ケイスケがインタビュー形式で深掘りしていきます。

他メディアでは決して話さない、水谷選手の意外なエピソードも盛りだくさんでお届けします!

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お話しをしてくれる人

水谷隼選手

元プロ卓球選手

静岡県出身。1989年6月9日生まれ33歳。木下グループ所属。元日本代表。2021年には東京五輪混合ダブルスで金メダルを獲得。

インタビュアー

林ケイスケ

uFit代表トレーナー

Youtubeチャンネル登録22万越え。自重トレーニングのメニューをはじめ、筋トレやダイエットの知識について執筆。フィットネスを通じて健康に目を向けてもらえるようトレーニング動画や記事を発信しています。

水谷選手の卓球が嫌になった瞬間

林:今回は水谷さんの競技人生を通して最大の失敗、最大の挫折って何でしょうか?

水谷一番自分がスランプだなと感じたのは2012年から2013年の頃ですね。ちょうどロンドン五輪のときです。

林:それは何かきっかけや原因があってなのですか?

水谷一つは単純に結果が出なかったというのがあります。どれだけ良い準備してどれだけパフォーマンスが良かったとしても卓球って対人競技なので、相手のパフォーマンスが良ければ負けてしましますし、そういう意味でロンドン五輪で結果を残せなくて。

そこからなんかこう、本当に、やっぱりモチベーションが一気に下がってしまったっていうのもありますね。やっぱりロンドン五輪でメダル取ってなんとか日本の卓球界を変えようとおもって一生懸命やってきて、そこで目標達成できなくて、ちょっと心が折れたかなというのが2012,2013年ですね。

林:なるほど、書籍を読ませて頂いたところスポンサー様が全部いなくなったというタイミングもそのあたりだったと思うんですけど、その辺も結構影響していたんですか?

水谷自分が卓球が少し嫌になってしまったのかなというがその時ですね。もちろんスポンサーさんも2012年のロンドン五輪が終わったあとにパっていなくなってしまって、まあ離れたというよりも自分からちょっと遠ざけたというのも若干あるのかもしれないですね。

自分が卓球が本当に好きで、自分が卓球選手でもっとこれから頑張ろうと思えばスポンサーさんも「これからも一緒に頑張りましょう」っていう感じだったと思うんですけど、自分が「ちょっともう卓球はいいかな」みたいな感じになってしまったので、もう本当に振出しに戻ってしまって。そこから2013年になって、全日本選手権という日本で一番大きい大会でそこで負けてしまって、その後世界卓球があって、そこでも初戦敗退とかで、ロンドン五輪が終わってから本当に大きな大会で全然結果が残せなかったです。

水谷選手が復活できた理由とは?

林:挫折を乗り越えてから、結果に繋げられた要因やきっかけはありますか?

水谷一番はやはり自分のそのメンタルですかね。やっぱり折れたメンタルをもう一度立て直すことが出来たというのが大きかったと思います。

林:何かきっかけがあったんですか?

水谷そもそもメンタルが折れた時負けたから折れたというのもそうなんですけど、負けた後ですね、負けた後に自分は本当に日本の卓球界のために、ロンドンまでもすごく一生懸命やってきたと思うんですよ。当時すでに全日本選手権で五連覇したりとか凄い成績残してきたんですけど、ロンドン五輪で負けて、なんか本当にサーってみんなが消えていったんですよね、色々な関係者が。

それで、「あぁ一回負けただけでこんな風にいなくなるんだ」と思って、その後半年間くらい卓球やってなかったんですけど、誰からも連絡ないし、心配もしてくれないし、それもすごい嫌になって「こんなに一生懸命卓球界に尽くしてきたのに離れるのはこんなに一瞬なんだな」と思って、そこで結構心が折れてしまって。

同時にちょっと怒りも結構あったんですよね。卓球界のために頑張るのはやめようみたいな、本当に自暴自棄になってしまって。そんな中で当時のスポンサーさんの社長さんとお話しする機会があって、「最近卓球半年くらいやってなくて、なんかもうみんな離れて行って誰も助けてくれないからもうあんまり卓球やりたいと思わないんですよね」みたいな話をして、その時にその社長は「だったら今がすごくチャンスだ。今誰もいない状況でお前が活躍したらそれは全部お前の手柄だから一人で一生懸命やってみたらどうだ」みたいなことを言ってくれて。

そこで自分の中で吹っ切れたというのはありますね。「たしかにここから一人で成功して、俺は誰にも感謝せずに生きてこう」みたいな。もともと一匹狼でずっとやっていたんですよね、そもそもが。だからよりその気持ちが強くなったというか。

強くなるとやっぱり色んな人が寄って来て関わろうとしてくるんですけど、僕は一匹狼でずっとやってきて、またその時に「これから俺は一人で生きていこう」みたいな決意が生まれました。

林:それをきっかけにずっと頑張れたというか、日々の練習とかのモチベーションになったんですか?

水谷その話があってロシアリーグに行くという決意と、日本の男子で初めてプライベートコーチをつけるという選択をしました。

林:プライベートコーチを自腹で雇って、結果を出せなかったら赤字になっていく状況へ自分を追い込んでいたんですか?

水谷リスクは相当ありましたね。やっぱりプライベートコーチの方もすごく有名な方で決して安い金額ではなかったですし、それこそ国際大会でいくら優勝しても赤字なんですよね結局は。どれだけ優勝しても卓球の賞金って少ないので赤字なんですよ。だから一生懸命スポンサーさん募ったりとか、あとは卓球リーグで稼がないと年々赤字になってしまうので、そのリスクがあるからこそ逆に強くならなくちゃいけないなという風には捉えていました。

挫折と復活経て何を得られたのか?

林:挫折を乗り越えたあとに変わったことはありますか?

水谷アスリートの世界って残酷だなと思いましたね。結局、本当に結果を残さないとその人の努力って見られないし、結果がすべての世界なんだなというはすごく感じました。

林:もちろんそれまでも感じていたと思うんですけど、さらに強く感じられたということですよね。

水谷さらに強かったですね。あと最初は五輪に出場できるってだけでみんなは盛り上がってくれるんですよ。いざ五輪が始まってメダルが取れないと本当にサーっといなくなって。ちょうどその時女子が卓球界で初のメダルを獲得したんですよ。

そうすると全ての人が女子のメダルに注目するので、ロンドンから帰国した時とか男子が質問が一個くらいで、どうでしたかくらいで1分くらいで会見が終わって。女子のときはうわー!って空港で凄い盛り上がりを見せて、その横をお通やのように男子は帰っていったんですけど。そういうのを目の当たりにするとアスリートって大変だなって思いますね。

林:結果だけじゃない部分もありますけど、結果を出していて初めて色々できるところはありますもんね。

水谷結果出すと、アナザーストーリーじゃないですけど、その人の日々のことが見られるんですけど、結果残せないと、その人が例えば怪我していたとかこういう苦難があってここまで来たんだよとか、そういうのすら何も見られないので。

しかもそれがマイナー競技だと結果残してても注目ってあんまり集められないですよね。やっぱりそういう意味だと五輪でメダル取らないと、マイナーな競技は本当にいつまでたってもなかなか光を浴びることはできないと思ってます。

今、挫折や苦難の中にいる方へのメッセージ

林:水谷さんは色々な挫折や苦難を乗り越えてきていらっしゃると思いますので、今この対談を見てくださってる方でまさに辛いタイミングの方に向けてメッセージを頂ければと思います。

水谷自分が何か変わろう、変えたいっていう気持ちがないとなかなか現状は変わらないと思いますね。やっぱり人に頼りっきりだと難しいかもしれません。やっぱり自分が変わるために結構本読んだりとか、Youtube観たりとか、色々な人の話やエピソードに触れると何かいきなり感情が変わったりするので、一人で部屋にこもっているよりも色んなものに触れ合うのが良いんじゃないかなと思います。

まとめ

今回は水谷隼選手に「水谷隼さんは人生最大の挫折をどう乗り越えたのか!?」というテーマでロンドン五輪での挫折や、挫折を通しての気持ちの変化についてお話を聞いてきました。

負の感情を原動力に自分を追い込んで結果を出した水谷選手だからこそ分かるであろう、アスリートの現状への危機感を感じました。

次回の対談では「水谷隼さんのコンディショニングとメンタルトレーニングとは?」というテーマでお話を聞いていきます。